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居酒屋を経営するゲームは、決して金貨の話ではなかった

ファンタジーで最も愛される空想は王位ではなく、居酒屋だ。宿の主人の幻想が実際に何を内包しているのか、そしてそれを物語としてどう遊ぶか。

空想を正直に棚卸ししてみよう。そこにはまず火がある。午後のうちに低く熾しておき、夕暮れに大きく起こす本物の火だ。なぜならその火こそ、外の暗闇に対して建物全体が示す反論だからだ。そこには重みのある鍵束があり、歩くたびに存在を告げる。そこには常連客がいる。隅の席で一時間黙っている退役兵、よくしゃべりよくチップを置く商人、窓辺で本を読み正確な金額を払う若い女性。そして上階の部屋がある。判断を保留してまで厄介ごとに貸してしまう部屋だ。居酒屋を経営するゲームを望んだことのある人は、意識すると否とにかかわらず、この棚卸しをすませている。そこにないものに気づいてほしい。帳簿だ。

居酒屋を経営するゲームを探しているなら、正直な答えはこうだ。たいていの作品は経営シミュレーションであり、サプライチェーンや人員配置、利益率を扱うものだ。だがその空想は、最初からそんなものではなかった。宿の主人の幻想は、人々についての幻想だ。扉をくぐる客はみな、物語そのものが運ばれてくる。主人はそのすべてを聞くことのできる、唯一の立場にいる。最も近い作品は、接待を物語の原動力として扱うものであり、経済システムとして扱うものではない。

これが本稿のすべてなので、火を熾すようにゆっくり進めよう。

なぜ居酒屋は王位に勝るのか

ファンタジーにはもっと壮大な座席が用意されている。王位、塔、ドラゴンの財宝、名のある剣。多くの物語がそれらを差し出してくれる。にもかかわらず、ファンタジーを読む人々に、本気で一生選ぶとしたら何がいいかと聞くと、驚くほど多くの人が居酒屋を選ぶ。冒険ではなく、冒険が立ち寄る場所だ。

それには理由がある。怠惰ではない。王位は地位であり、居酒屋は視点だ。王が見るのは請願者、つまり演技だ。主人が見るのは、一日のうちで演技をやめる瞬間、つまり長靴を脱ぎ、マントを火に当てて湯気を立て、飲み物を二杯目に手にする人々だ。ほとんどのファンタジーで、居酒屋は筋書きが息をつく場所だ。仲間たちは地下迷宮での出来事を語り、その語りが物語の本当の主題を明かす。居酒屋は冒険が立ち止まって真実を語る場所なのだ。

したがって居酒屋を経営することは、きわめて特殊な力を持つことになる。誰かを支配する力ではなく、誰にでも近づく力だ。どの衛兵が借金しているか、どの神官が正午前に酒を飲むか、扉に閂のついた部屋を求めた客は誰か、静かな抜け道を尋ねた客は誰か、すべてがわかる。細かく見つめれば、この空想は「知ること」そして「知るという行為に伴う慎重さ」についての空想だ。主人はすべてを聞き、何も繰り返さない。それが取引であり、人々が話しかけてくる理由だ。

居酒屋を経営するゲームが通常間違える点

既存のジャンルの標準形はこうだ。客足を考えてテーブルを配置し、料理人を雇ってレベルを上げ、ちいさな客が扉から椅子へ移動して硬貨を出し、消える様子を眺める。数字は増えていく。これらのゲームには確かに出来の良いものがあり、そこには整ったシステムが滑らかに回る心地よさ、つまりそれ自体が小さな空想がある。

しかし、ここで置き換えが起きた。幻想の理由そのものであった客が、歩く取引に圧縮されてしまった。隅の退役兵は満足度メーターになり、上階の部屋は収益枠になった。経営ゲームは居酒屋を残し、主人の本質を捨て去る。建物は与えるが、建物が本来持っていた意味は奪う。酒場シミュレーターを四十時間遊んでも、誰がなぜ来たのか、ついに一度も知ることはない。

これはゲームの欠陥というより、形式の限界だ。アップグレードのメニューは経済を美しく再現できるが、会話は再現できない。会話には、相手がこちらを驚かせる可能性が必要だからだ。よくしゃべる商人が閉店間際に静かで本質的なことを口にした瞬間を、スプレッドシートが作り出すことはできない。それができるのは物語だけだ。

客はみな、扉から入ってくる筋書きである

そこで、居酒屋を物語として経営することを想像してみよう。接待の仕組みは、ほとんどそのまま物語の仕組みになる。

黄昏に知らない客が着く。それは泥を落としたきっかけの出来事だ。彼は戦争以来誰も鋳ていない古い硬貨で三泊分を払う。それは謎であり、屋根の下で眠っている。十年間互いに頷き合っていた常連客が、初めて同じテーブルにつく。それはあなたがひとりで世話してきた、グラスを注ぎ足すたびに育つ緩やかなサブプロットだ。主人の日常の仕事、良い部屋を誰に与えるか、勘定を静かに延ばすか、どの質問を口にし、どの質問を飲み込むか、すべてが長い余波を残す小さな選択の連続であり、それは筋書きの妥当な定義でもある。

常連客は連載の層だ。常連とは勘定つきの関係であり、毎晩同じテーブルで再開される進行中の物語で、歴史を積み重ねていく様子は勘定が線を増やしていく様子に似ている。兵士がようやく渡し場の出来事を打ち明ける夜が意味を持つのは、それ以前の四十の沈黙した夜があったからだ。接待は意味を積み重ねることで小説のように構築される。これは読者を対象としたゲームに人々が惹かれる力と同じであり、宿の主人の幻想が穏やかなコージーファンタジーゲームの端にしっくり収まる理由でもある。どちらも、小さく温かく繰り返される瞬間が、戦いと同等の重みを持ちうると信じているからだ。

緊張の仕組みも最初から備わっている。それは上階にある。やがて主人は厄介ごとに部屋を貸すことになる。高額に払い、遅く着き、名前を忘れてほしいと頼む客だ。屋根の修理が必要だからと金を受け取り、物語に賭けが生まれる。慎重さと安全、好奇心と掟の対立だ。居酒屋に悪役が乗り込んでくる必要はない。自分で料金を決めて泊めるのだ。

AIストーリーゲームで居酒屋を経営する

客に秘密があり、常連に履歴があり、主人の本当の通貨が信頼であるような居酒屋には、即興のできる形式が必要だ。あなたは台本を守らないし、三号室の知らない客も守るべきではない。それがAIストーリーゲームの役割だ。ルーンブックではストーリーテラーが世界を動かし、あなたは言いたいことやしたいことをただ入力して行動する。古い硬貨の出所を尋ねてみよう。傭兵の酒に水を足して反応を見る。勘定をもう一週間伸ばして、その親切が何を引き起こすか確かめてみよう。

物語は大切なことを覚えている。主人の場合、たいぶてのことが大切だ。秋に口を利かなかった常連が真冬もまだよそよそしいこと、物語の早い段階で守った秘密がずっと後で誰かの信頼を呼ぶ理由になること。場面は読み上げられる描写と語りで訪れるので、火や雨戸を打つ雨は単なる舞台指示を超える。静かな宿の夜を、大人向けのインタラクティブな寝物語のように扱うプレイヤーもいる。一日の終わりを閉じ込める温かい部屋だ。酒場を、危険の合間にだけ訪れる大きなファンタジー冒険の静かな中心に据えてもいいし、酒場の空間そのものをすべてにしてもいい。ソロなら主人と常連だけで遊び、友達とマルチプレイなら一人がカウンターを切り盛りし、もう一人が上階の厄介ごとになる。自分の着想から始めるので、宿は完全にあなたのものであり、名前も掟も、幽霊を持つかどうかも自分で決める。ろうそくを消すとき、物語はあなたがどこにいたかを覚えている。火は熄えておらず、ただ低く熾されている。

空想は最初から金貨についてではなかった。扉が開き、そこに誰がいるのか知りたくなることだった。アカウントを作成すると、最初の物語を始められます。その物語はアカウントに含まれています。物語を始める、そして火を灯そう。